開かれた大学と創造的研究

韓 太舜(培風館「大学用図書目録」1999年版より)

バブルが弾けてすでにかれこれ10年ほどになるが, いまだに「不良債権」という時限爆弾を抱えたまま, 何の根本的治療も行なわれずに青息吐息の状態が続いている. 失業率もついに4パーセントを越して,終身雇用という幻想も夢と消え, あれほど強固に見えた年金制度も屋台骨が大きく揺らいでいる. これでは人々が将来に不安を抱き財布の紐を締めるのも無理ないであろう. いや,財布の紐を締める前にすでに中味が空っぽになっているかも知れない. 伝統的な価値観が崩壊する中で,老若男女を問わず, 人々の心も今までになく荒廃している.

しかし,これもあれもすべてが「景気が悪い」せいである. だとすれば,治療法はただ1つ,「景気を良く」しさえすればよいのである. そこで,バブルを煽ってこのような危機的状況に到らしめた経済評論家達が心機一転, 今度こそ「本物のバブル」のための「処方箋」(景気浮揚策)を書き, 企業献金にどっぷり漬かった政治家達がここを先途と「公的資金導入」をぶち上げる. 企業も生き残りのためには,どんな事でもやらなければならない. 日本中が右往左往しながらも闇雲に走り回っている.

大学もその例外ではない.「象牙の塔」との批判が聞かれたのはずっと昔の話しである.大学では今や「企業家精神」があまねく満ちあふれ,学長や学部長は言わずもがな,一介のひら教授に至るまでが動員されて,生き残り戦略について日々議論を重ねている.将来構想委員会,長期計画委員会,外部評価委員会,自己点検評価委員会,大学改組委員会,公開講座委員会,大学公開委員会,広報委員会,大学名称委員会,大学英語名称委員会,女子学生獲得委員会,女子トイレ増設委員会,大学のイメージを明るくする委員会,企画委員会,社会人教育委員会,リフレッシュ教育委員会,大学ホーム・ページ委員会,社会人入試委員会,留学生入試委員会,秋季入試委員会,冬期入試委員会,学生との心の交流委員会,授業内容評価委員会,就職斡旋委員会,学生部委員会,教育検討委員会,短期留学生プログラム委員会,研究成果宣伝委員会,研究成果を組織的に新聞記事にしてもらうための委員会,各種の受賞を組織的に獲得するための実行委員会,高校廻り大学名宣伝実行委員会,などなど,「開かれた大学」になるために,大学教授達の膨大な時間と労力が会議や雑用に費やされている.その間,大学人の本務である「研究と教育」のための「自由な時間」はどんどん犠牲にされ,そのような危機的事態に対する「憂慮」の声すら聞かれない.すべては,「競争的環境の中で個性に輝く大学」として生き残るためである.「自由な時間」などという「我がまま」は「象牙の塔」の時代ならいざ知らず,「開かれた大学」と「企業家精神」が至上課題の現在ではもはや許されない.これが現今の大学における「景気浮揚策」というものである.大学教授とはいまやビジネスマンと心得よ.それも「コスト・パーフォーマンス」のうちの「コスト」という概念の無いビジネスマンである.

このように,ポピュラリゼイションが蔓延してアカデミズムが死に絶えたとき,一体全体何が起こるのであろうか.バブルという拝金思想が弾ける少し前から,人々は「これからは心の時代」であると言ったものであるが,最近ではそのような声も聞かれなくなってしまった.

バブル=ポピュラリゼイション,心=アカデミズム,といった図式から見れば,大学で現在進行中の事態は「バブルへの回帰」あるいは「遅くやって来たバブル」である.大学には社会の変化が最も遅くやって来るからである.しかし,バブルであろうとなかろうと,ともかく大事なのは「景気」である.我々大学人は事の「本質」を見誤ってはならない.とにかく「景気」さえ良くなれば万事がうまく行くのである.「論理的に強固で深い思索」を不断に継続することによってこそ初めて達成可能だとされている「真に画期的な創造的成果」と言えども,大したことはない,「景気」さえ良くなれば,それこそどしどしと大量生産されて来るであろう.「研究」などと大仰に言って見ても,所詮はそんなものなのさ.「本当に研究がやりたければ,大学を辞めるしかないのでしょうかねえ」とある大学教授が述懐したとかいうのは,全くの世迷い言に過ぎないのである.とにかく,当世の大学人たるもの,一切の迷いは捨てて「景気浮揚」のために総力を挙げるべきなのである.しかし,それでもなお「迷い」が残ってしまうという場合には一体どうしたらよいのであろうか.そのような「変人達」はやはり大学を去るべきなのであろうか.