ハーモニーは生まれるか?

           情報システム学研究科
                 星  守

 本年1月から3月にかけて NHK教育テレビで「音楽からみた日本人」
という番組が放送された(講師国立歴史民俗博物館小島美子教授)。そ
のテキストの第8回「ハーモニーはあったか」が非常に興味深かった。
 小島氏は、「どうやら日本人はハーモニーに適応性がない民族のよう
に思われるが、日本人は古くからハーモニーを持たなかったのだろうか。
例えば、ハーモニーのある合唱はまったくやらなかったのだろうか。」
という問題について論じていた。
 その中の一節「ハーモニーのある合唱はどうして生まれる」では次の
ように述べている。
 まず、同じメロディをみんなで声をそろえて歌う単純な斉唱の形から、
複雑にいくつものパートがからみ合って歌うような合唱までを含めて、
大勢の人が同時に声をそろえて歌う形がどういう条件で生まれるかを考
える。
 第一に考えられるのは、みんなで動作を揃えなければならないときで
ある。例えば、ニシン漁では、大勢の人が同時に動かなければならいが、
それは全部声を合わせて歌うことで運ばれた。この場合は、船頭さんが
音頭取り役で一人対大勢の形で歌うことが多く、音頭役が際だっていて、
力強く集団を引っ張っている。この形は音頭一同(おんどういちどう)
形式と呼ばれていて、木遣り歌、田植え歌、盆踊り歌など、日本民謡の
中では集団で歌う場合の基本的な形である。
 もう一つは、集団の人々が力を合わせて「がんばろう」という意識や
気分を高めるときである。校歌、社歌、県歌、国歌などはそのようなと
きによく歌われる。
 このようなことから、何らかの形で団結する必要があるとき、特に何
か外部のものと競ったり、外敵と戦う必要があるような社会状況のとき
には、みんなで一緒に歌う形が発展しやすいということがわかる。
 次に、一緒に歌うなかからハーモニーのある合唱がどのようにして生
まれるかについて考察する。
 スリランカの森林で暮らすヴェッダ族は、いつも一人で狩をしている
ため、歌も踊りもすべて“自分の歌”、“自分の踊り”しかもっていな
い。一緒にやってくれと頼んでみたところ、みんながそれぞればらばら
に、お互いに関係なく精一杯演じてくれたという報告がある(藤井知昭、
「音楽」以前、日本放送出版協会、1978)。このようなところで何
かの理由によって団結する必要が生じたとき、一緒に歌っても声はばら
ばらになり、一種の偶然的なハーモニーができる。それがある程度整理
されたハーモニーの形に展開してくる場合いがあるのではないか。
 また、台湾の山地民族は各部族ごとにそれぞれ違った原理のハーモニ
ーを持っている。部族間では首狩りが行なわれていて、部族が団結のた
めに一緒に歌うことが多かったであろう。そのようなかで、偶然的にハ
ーモニーが生じ、それぞれの部族の特徴を持った合唱ができたのではな
いか。
 実際、合唱を発展させている民族は、団結が必要な社会構造が比較的
後の時代まで長く続ところである。
 以上の話はそれ自身大変に興味深かったのですが、読みながら、研究
教育に携わっているわれわれの行動様式についてもいろいろと考えてし
まいました。
 まず、日本民謡の基本的形式であるという音頭一同形式ですが、どう
やらわが国の研究者、大学人の基本形式でもあるようです。
 例えば、通産省が「第5世代」、「RWC」などの音頭を取る。勿論、
科学技術庁、郵政省、文部省も負けてはいません。「第6世代」、「情
報ハイウェー」、「マルチメディア」、「リフレッシュ教育」と次々に
○○音頭が流されます。大学の先生方も有名教授の音頭とりで「重点研
究△△」音頭のたぐいを歌うというわけです。
 あちらこちらで盆踊り大会が開かれ、第5世代音頭、マルチメディア
音頭が屋台の上で歌われ、その周りには踊りの輪ができます。参加者に
はアイスクリーム(研究費?)が配られます。中には、あちこちの盆踊
りをはしごしてアイスクリームをかき集め、子供たちに配っている人も
います。
 音頭一同形式の歌の他には、校歌や社歌のたぐいがよく歌われます。
「大綱化」などの外圧がかかってきたときには全国の大学で団結のた
めに歌われたました。(もっとも、そのときの歌声は弱く、大綱化音頭
の声にかき消されてしまったようですが。)
 高砂族のように部族ごとにそれぞれのハーモニーを持つというグルー
プが日本にも無いわけではありませんが、やはり、小数でしかも主流で
はありません。彼らの存在が里に住む人々に知られてくると、里人たち
は彼らを自分の盆踊り大会に招いて屋台で歌わせるようになります。
 里に下りてきた者のうちのある者は里の暮らしにも馴れてしまい、盆
踊り大会の役員にも取り立てられて、山に残っている仲間に「里でも歌
えるからみんな山からおりてこようよ。」と言ったりするようになりま
す。そのようにして、ハーモニーを持っていた部族の歌が変質したり、
滅んだりしてしまうようです。
 こうしてみると、われわれ大学人も確かに日本人であって、音頭一同
形式が最も性に合っているようです。各人がそれぞれのパートのメロデ
ィを“しっかり”と歌って美しいハーモニーを響かせる合唱はどうも苦
手のようです。このようなわれわれにはハーモニーのある研究・教育を
生むことはできないのでしょうか?


上記は電気通信大学通報第◯号「研究者の一筆」の指定箇所削除前の原文です。

星・大森研のホームページへ
研究室紹介のページへ戻る。
ページ作成:
akiko@hn.is.uec.ac.jp