量子情報科学は,実際にデバイスを作る実験分野と,量子情報処理の性能やその可能性を議論する理論分野に分かます.その理論分野だけに限っても,物理,数学,コンピュータサイエンス,情報理論,統計学などの複数の学問領域からなる境界領域となります.本講義では,量子情報科学の理論分野にはどのような分野があり,どのような関連分野と結びついるか説明し,量子情報科学の理論分野の広がりについて簡単に説明する.
量子暗号は,量子力学の原理を元に,情報理論的に安全性を保証する通信方式です.本講義では,BB84方式とよばれる量子暗号の原理を説明する.その上でその安全性について説明する.また,現実の量子通信で量子暗号を実装するには,当初のBB84方式をそのまま適用することはできず,「誤り訂正」「秘匿性増強」が必要となる.これらについても簡単に説明する.なお,講義終了後,参加者に偏光板を用いて量子暗号の模擬実験を実施することで理解を確認することができる.
量子情報科学(特に量子計算)の理論入門として,量子力学の知識を仮定せずに,量子系(Hilbert空間),状態(単位ベクトル),物理量(エルミート行列),時間発展(シュレディンガー方程式),合成系(テンソル積)といった基礎概念(量子力学の公理系)を解説する.特に,多スピン系などの具体的なモデルを通じて,これらの概念の理解を深める.
(*)ただし,線形代数(内積空間)の基礎や初等確率論の知識を仮定します.たとえば,行列とその固有値,固有ベクトル,エルミート行列,ユニタリー行列などの定義やエルミート行列やユニタリー行列の対角化(または固有値分解)などの基本定理を復習しておくことが望まれます.本講座に必要な基礎数学は,事前に電子ファイルで配布し,到着日の24日の夜には,これらの質問を受け付ける予定です.
本講義では,「量子力学の基礎」で学んだ基礎概念に基づき,量子力学の再定式化を行う.これは,操作論的な視点に基づく現代版の量子力学であり,量子情報理論を広く展開するために欠かせない定式化である.特に,密度行列による量子状態の表現や,POVM(正作用素値測度)に基づく一般測定,及び,部分トレースで与えられる部分系の状態に関して,その数学や物理的意味について解説する.特に,任意のPOVM測定が,対象とする物理系に相互作用するアンシラ系(測定器)の物理量の測定によって実現できることを説明する.
本講義では,量子力学系の一般的な時間発展と測定過程について解説する.特に,完全正値性の数学とその表現定理,及び,物理的意義を説明し,トレース保存の完全正写像による一般的な時間発展や,Instrumentや測定演算子による一般的な測定過程を学ぶ.また,これらが量子力学の公理から必然的に現れることを解説する.最後に,一般的な測定過程の応用として,近年Ozawaによって定式化された「任意の測定に適応可能な不確定性原理」を紹介する.
仮に十分実用的な量子コンピュータが実現できたとしよう.ではこの量子コンピュータは現在のコンピュータと比べて一体何が優れているのだろうか?このような問いに対する答えを探すのが,量子計算分野の主な研究テーマである.もちろん量子コンピュータを実際に使うことは現在のところ非常に難しいので,妥当な理論モデルを構築して,その上で比較を行うことになる.本講義では理論計算機科学の立場から量子コンピュータの理論モデルである量子回路について説明する.特に任意のユニタリ変換を量子回路で実現する方法について述べる.また量子回路モデルに基づいて量子コンピュータが現在のコンピュータに比べてどのように優れているのかについて解説を行う.
量子アルゴリズムとは量子コンピュータ上で動作する量子情報の処理過程である.量子コンピュータの優位性を示す例として,現在のコンピュータでは計算困難ないくつかの問題を非常に高速に解く量子アルゴリズムの存在が挙げられる.本講義ではその量子アルゴリズムの例として著名なGroverのアルゴリズムを解説を行う.特にその性能(計算量,成功確率)を理論的に解析する.また時間が許せばその他の例にも言及したい.
エンタングルメントとは,複数の系にまたがる量子力学的相関のことで,非可換性と並んで,古典系にはない量子系の際立った特徴である.二者間でエンタングルメントを共有している場合,量子テレポーテーションのプロトコルにより,局所的な測定と古典的な通信で,未知の量子状態を遠隔地へ送信できることや,量子高密度符号化(super dense coding)のプロトコルにより,2準位系の粒子1つ(1 qubit)の送信で,2 bitの古典的情報が送信できることを解説する.次に,純粋状態のエンタングルメントを中心に, Schmidt 分解,Schmidt ランクを通して,エンタングルメントの数学的定義を与える.また,局所的操作(Local Operation)と古典的通信(Classical Communication)の概念を説明し,これらの操作でエンタングルメントが増加しないことを解説する.
フォンノイマン・エントロピー,量子相対エントロピー,量子相互情報量などの情報量について解説する.これらの情報量は,量子情報理論の様々な場面で,操作的に重要な意味を持つ.例えば,量子状態を用いた通信の効率は量子相互情報量(Holevo相互情報量)で表わされたり,量子状態の識別のしやすさは量子相対エントロピーで表わされる.本講義では,量子相対エントロピーを中心に,それらの性質について解説する.また,具体的な計算例についても紹介する.
量子状態を多数の参加者で分散共有する手段である,量子秘密分散法について解説する.量子秘密分散法の理論や構成方法は,量子誤り訂正符号の理論に基づいている.量子誤り訂正符号は,量子計算の登場に伴なって,量子状態をノイズから保護するための方法として考案された.最初に量子誤り訂正符号の一般論を紹介した後,フォンノイマン・エントロピーや量子相互情報量を用いて,量子秘密分散法における符号化効率について解説する.
大学初年度程度の線形代数・微積分の知識のみを前提として講義を行います.したがって,学部の専門課程でも取り扱わない専門的なテーマを取り扱いますが,学部学生でも受講可能です.学部学生で受講を希望される方は,大学初年度程度の線形代数・微積分の復習を十分に行った上で受講に臨んで下さい.