『極道としての学問』

     
電気通信大学情報システム学(IS)
研究科                                   
                           韓 太舜  (Te Sun HAN)

    高度情報社会と称される今日の社会を支える基盤技術とは何かを考えるとき
,それが高度に多様化した計算機技術・システムとそれを相互に結びつける広範かつ
高性能な通信技術・システムであることに異論はないであろう.これらの基盤技術の
展開・普及は止まることを知らない指数関数的な速度で進んでおりその勢いは爆発的
ですらある.なかでも,第6,第7世代コンピュータ構想や多機能光通信(マルチメ
デイア)・情報ハイウエイ構想などは21世紀を支配する最先端情報技術の雄である
と喧伝されている.これら情報技術の潮流に取り残されたら何人も生き残る権利さえ
ないかの如くである.実際,このようなモンスター的巨大技術が21世紀社会に与え
る影響は,かつて無いほどに圧倒的.破壊的であり既存社会システムの根底からの変
革を迫ること必定であろう.
   このような大変革期に生きる我々には,思考における柔軟さと精神における強
靭さとを併せ持った個の自立と主体性の確立が何よりも求められる.潮流にただ身を
任せる,あるいは,潮流にひたすらしがみつくような生き方はもはや通用もしないし
許されもしない.では,そのような個の自立と主体性の確立はどのようにして可能に
なるのであろうか.方法は幾つもあろうが,基本的には次の4つに大別されるであろ
う.すなわち,1)急展開する情報技術を catch upし続ける,2)急展開する情
報技術の行き着く先を見据える,3)急展開する情報技術に巻き込まれない距離をお
く,4)急展開する情報技術に社会的・経済的・倫理的・哲学的方向性を与える,の
4つである. 
   これら4つの態度は互いに関連があり,正解はこの中のどれか1つだけという
のではなく,多分それらを総合した所にあると思われる.しかし,1人ですべてを成
し遂げるわけにはいかない.研究者としては,いずれかに方向を絞るしかないので,
小生としては,態度2)に立脚して情報の本質を理論的に追及する研究に的を絞って
来た.10年先、20年先,あるいはもっと先の情報技術の理論的可能性と理論的限
界を数理的・数学的方法を駆使して究めようとするものである.すべての情報通信技
術は天才 Shannon が明らかにした情報の“符号化”と“復号化”という概念に基
づいて構築されている.したがって,情報技術の理論的可能性・理論的限界とは“符
号化”の理論的可能性・理論的限界に他ならない.小生はこれからもこのような意味
での情報理論的な可能性と限界に挑戦し続けるつもりである.そのための主要な武器と
して数理的・数学的方法を用いるのは,このような目的が必然的に要求するからであ
る.
   だからと言って,情報理論とは抽象的な数学とただ単に戯れることでもない.
情報理論が本来的に数理的・数学的理論であるとはいっても,その本来の目的があく
までも情報通信技術という“工学”に資することにある以上,研究の対象となるのは
現実の,あるいは,現実化しつつある種々の情報通信システムを先取りして理想化・
抽象化した数理的・数学的モデルであるという厳然たる制約から自由ではあり得ない
.さりとて,現実追従や現実埋没の日常的・常識的発想のみをもってしては,情報理
論的に新しい知見,ましてや画期的発見など到底望むべくもない.では,現実をどう
数理化しどう発展させたらよいのか.背後に在るはずの目に見えない必然性・法則性
に対する感受性と洞察力を磨くしかない.しかし,背後に在る必然性・法則性と言っ
ても1つの現実に対して幾つもある.1つの現実といえども無数の顔を持っているか
らである.   
  それでは,どのような種類の感受性と洞察力を磨けばよいのか.この問に対する
万能薬のような答えはあるのか.否である.しかし,先人達が命懸けで残した示唆は
ある.“truth  = beauty + simplicity”という確信である.こんな確信だ
けで研究ができるのか.できる分けがない.何を beauty と感じなにをsimplic-
ityと思うのか,人間の数ほどに多様だからである.そこで,優れた研究者になる上
で最も大切なことが,上で述べた”思考における柔軟さと精神における強靭さとを併
せ持った個の自立と主体性の確立”にあることが分かる.これが前提にあってこその
beautyであり simplicityなのであった.このような資質が一朝一夕に獲得でき
る筈はないが,少しの才能と誰にも負けない情熱こそがそのための重要な第一歩であ
ろう.そのような情熱をderiving force とする悪戦苦闘の中でいつかは,inter-
esting でありsurprisingな事柄,一言でいえば,全てを忘れさせる exciting
な事柄にぶち当たることになる(それがいつであるかは誰にも分からない.勿論ぶち
当らないこともある!).このような過程の繰り返しのなかで,消耗品的でない画期
的な研究ひいては人類の知的遺産として後世に受け継がれる研究が生まれるのである.
 
   もとより,研究者すべてがいつでも“画期的”研究に遭遇するわけではない.
そうでなければ,“画期的”という言葉の定義そのものに矛盾してしまう.生涯に一
度でもそういう機会に恵まれた研究者はまさしく神々の寵児というべき存在であり,
寵児の誕生に多少なりとも功のあった研究者(そういう無名の研究者は沢山いる!)
はそれだけでも無上の幸福者というべきであろう.裾野が広くなければ頂も高くなれ
ないのだから.多数の自立しかつ主体性を持った研究者がそれぞれの 異なるbeauty
と simplicityを相互にぶつけあい刺激しあってこその画期的研究である.だから,
そのような画期的研究を生みだそうというならば,そのように多様な感受性をもった
多数の研究者が大いに主張し大いに批判し会える『自由な場』を用意することが肝心
かなめの要締であろう.しかし,世の中,いつもそう都合の良いように出来ていると
は限らない.つい最近までは,誰もがそこそこの研究費を貰うかわりに,誰もが“役
に立つ”こういう研究をやるべしという風潮が強かった(どういう研究が“役に立つ”
のかはボス稼業の親分衆が決める!).こんな風では,若い研究者が本当に inter-
estingと感じる研究はしずらいと思っていたら,今度は,誰も彼もが画期的な研究を
やるべし,そうでなければ研究費は出さないという感じになってしまった.そして,
じっくり磨けば革新的な研究に連なる可能性のある若い研究者の卵達にとっては相変
わらずの受難の世である.
  さて,前置きが大分長くなってしまったが,そろそろ本題に入ろう.一言で情報
理論といっても広い.情報理論という学問は,上述の Shannonが1948年に発表
した “A mathematical  theory of communication”という論文によっ
て初めてそれ自身固有の理論体系を備えて誕生したとされている.デジタル通信技術
全盛時代の幕開けであった.通信技術の本質を“デジタル”と喝破し符号化の決定的
役割を明らかにしたのは,ひとえに彼の天才による所である.Shannonの論文以来
45年が経過したが,振り返えって見ると,そのほぼ後半分に当たる20年間ほどの
間,他のことは殆ど見向きもせずに,彼の敷いた基本的枠組みに沿った研究に従事し
続けて来たことになる.もうそんなになるのかと思うとある種の感慨を禁じえない.
  しかし,Shannon流の情報理論に魅せられてそれに取りつかれる前にも,本流か
ら離れた所で,広い意味での情報構造に絡んだ仕事に興味を持っていた.初めての投
稿論文は,博士論文で扱った『聴覚空間の情報理論的・射影幾何学的構造の研究』の
抜粋をBiologicalCyberneticsという雑誌に出したものであった.投稿したら,
2週間で受理の返事が来たので,こんなものかと思っていたら,ある先生に“その雑
誌は相当いい加減な代物じゃないのか”と言われてしまった.しかし,論文が掲載さ
れたとたんに70通位の reprints請求が海外から舞い込んで来たではないか.これ
も,そんなものかと思っていたら実はそうではなかった.IEEE Transactions on
Information Theoryを主な投稿先にするようになってからは,受理決定まで少な
くとも1年半は掛かるし,reprints 請求も極く希にしか来なくなった.件の先生の
言い分は半分は正しかったのである.最近,コピー万能の世にあってreprints請求
が流行らなくなってしまったが,その頃は,様々な国から送られて来たreprints請
求の一つ一つを丁寧にながめて,名前と大学に似つかわしそうな顔を勝手に想像しなが
ら,我が未だ見ぬ友人達との友情と共感を楽しんだものである.なかにはメキシコと
かブラジルとかからのもあって,大いに感動したことを記憶している.70通のre-
prints請求はいまでも大切な宝物として保存してある.その時は,投稿論文の価値
がどんな物か全く分からなかったけれども,今では,当世流行りのMathematical
Biologyとか  MathematicalPsychology とかのはしりだったと多少は自負し
ている.その後すぐに,統計的な多変量解析の情報理論的研究に興味を持ちエントロ
ピー空間の代数的構造や非負性などの論文を夢中で書いて発表したりしたが(Infor-
mation and Control),当時は同じようなことをやっている研究者は殆どいなか
った.そのため,論文が受理されるまでにはそうとうごたごたして,no contrib-
utionなどとやられたりもした.頭に来て,それなら俺の方法を使わないで同じ結果
を出して見ろと食い下がった.なかなか返事が来ないので,どうなってるのかと聞い
て見たら,今度は,Reviewerは今引っ越しで忙しいと言って来たのでまたまた頭に
来てしまった.だが,とにかく最後まで頑張った.こんなに美しい結果はないと確信
していたからである.おかげで,喧嘩のやり方も研究者の卵のうちに習うことも出来
た.ずっと後になって,Stanford大学のCoverがその論文のことを知らずにInfor-
mation-theoretic inequalitiesという洒落た論文を書いた(彼の書く物はい
つでも洒落ている).しかし,両者は本質的な所で overlap していたのである.ね
じ込んだところ,彼の最近の名著Elements of Information Theoryには丁寧
すぎるほどの引用がなされていた.これで溜飲を下げた.
  Shannon流の情報理論に本格的に触れたのは,1975年頃であったろうか,年
来の悪友である阪田省二郎氏(当時相模工大,現在は電通大教授)が持っていたShan-
non Theoryに関する Key  papers の中に ,Slepian と Wolf の最優秀賞
論文Noiseless coding of correlated informationsources”を発見し
たのが最初である.(こういう重要な物をいつでもきちんとavailableにして置く同
氏の才能には驚嘆すべきものがある.そういえば,大学時代の小生の講義ノートは全
て同氏の講義ノートのコピーである.しかし,すべて手書きでのコピーであったのが
小生のささやかなプライドであった.それは授業に出るよりずっと時間の掛かる作業
であったからである.)さて,この論文は多数のユーザーが関わる多元情報理論の幕
開けを告げる画期的な大論文であったが,これがまた難解極まりない代物で,1週間
程かかりっ切りになった位では,そこに書かれている定理の意味も証明も全くチンプ
ンカンプン,論文との果てしない格闘が終わった後にはただただ深い苦悶と絶望とが
残るのみであった.要するに,当時の小生にはこの論文を読み通すだけの素養が全く
無かったのである.
  ところが,それから2年後に件の Cover が書いた“A proof of the data
compression theorem of Slepian and Wolf for ergodic sources”
という論文を読んで仰天してしまった.そこには,Slepian-Wolfの定理の証明が
たったの1ページで書かれていたからである.あれほどの“苦悶と絶望”をもたらし
た大定理の中味がかくも単純なものであったとは!世に青天の霹靂とか,目から鱗が
落ちるとかいうのは正にこういう事を言うのではあるまいか.とにかく,単純明解で
しかも深く美しいのである.それは眩いばかりであった.その論理には間然とする所
が全くなく,述べられていることの全てが明解な意味を担っていたのである.『本質
を突く』とは正にこういう事だったのか.それは小生が情報理論研究で始めて味わう
極めつきの感動であった.人間こういう経験を1度でもすると,もう病みつきである.
パチンコでも競馬でも事の本質は同じである.小生のそれからの研究生活がこれで決
ってしまった.いや,今にして思えば,研究生活のとっ始めにあれほどの耐え難い
“苦悶と絶望”に見舞われたということ自体,もうその時すでに情報理論との断ち難
い関わりが開始されていたというべきであろう.すなわち,『極道』人生の始まりで
あった.
  羅針盤のない大海原を航海する研究者が数々の苦難の末ついに黄金の島にたどり
着いて書く論文は一般に難解である.その対象が今までの常識外にあることもさりな
がら,その論文の著者自身が全てのside issuesを剥ぎとったあとに残るその本質
を十分に理解していないことが多いからである.その論文の内容が epoch making
であればある程そういう傾向が強い.第1発見者は『黄金の島』が存在すること自体
を立証することに全精力を傾けるため,その島がどれほど豊かなのかまで深く立ち入
って考える余裕がない.そして,『黄金の島』の存在を論文によって知らされた研究
者のうちのある者が,その島にたどり着くための最短航路を発見するために全力を尽
くすのである.その結果,島の正体がよりが明らかにされ“標準航路”というものが
整備されて来るのに伴ない,新しい学問分野としての認知を受けることになる.上述
のSlepian-Wolf とCoverとの関係がその典型例に他ならない.こうして,『黄金
の島』の本質と可能性が白日のもとに晒け出されて来ると,腕に覚えのある多数の開
拓者が『黄金の島』目指して殺到することになる.もし,その島が本当の『黄金の島』
であれば,開拓者達は地道な努力と引き替えに豊かな収穫に恵まれることになるであ
ろう.(もっとも,この頃になって来ると,収穫のとり分をめぐって熾烈な争いが起
こって来るので,島の秩序を取り仕切るためのボス稼業という新研究分野が成立した
りもする.ボスの仕事は『音頭一同形式』による斉唱歌の音頭をとることである(注:
電気通信大『通報』星守教授『ハーモニーは生まれるか?』参照のこと.『斉唱』とは
それぞれの個を生かす『合唱』とは異なり,個を空しうして全体に合わせる『唱和』
のことである).島の情勢がこうなって来ると,それまで『自分の歌』を自由に歌っ
て来た者達も,俺は俺だという具合には行かなくなって,いずれは『島暮らし音頭』
斉唱に馴らされて行くかそれとも島から追い出されたりすることになる.)
  小生の20余年に亘る研究生活(小生にとって『研究』は『生活』そのものであ
った)もこんな風な雰囲気の中で始まりこんな風な雰囲気の中で続いて来た.すでに
お分かりのように,研究者というものはボス稼業の者を除けば大体3つのタイプに分
類されるであろう.すなわち,島を発見する人,最短航路を築く人,島を開拓する人
の3つである.小生もときには開拓者,ときには最短航海士,といった風であったが
,ほとんどの場合は畢竟,標準的な開拓者であったといわざるを得ない.その間,島
の発見者になったことなどは皆無,しいて言えばただの1度だけはそのようなケース
であったかもしれないと思えるのみである.研究者は,島を発見する人,最短航路を
築く人,島を開拓する人,の順に温厚かつ勤勉なる紳士である確率が高くなると言わ
れている.『島を発見する人』なんぞは,どちらかといえば性格破綻者に近いという
評価さえある.それに反して,『島を開拓する人』は堅実な日常生活を営み,精神的
にも社会的にもバランスのとれた人格者であることが多い.こういう視点から自分自
身の人生を振り返えってみると,島も発見できず人格者にもなれずただいたずらに日
夜悩み続けて来たという実感だけが強い.
 さて,研究者の最高の栄誉は『島を発見した人』になって後世にその名を留めるこ
とであるとされている.研究者なら誰しもこの栄誉に恵まれたいと願っている.しか
し,そのためには,本当に『何も発見できない』だけでなくシケの海であえなく『溺
れ死ぬ』かもしれないという大きなリスクを覚悟しておかなければならない.このリ
スクは一般に “all ornothing”リスクと呼ばれているものであり,身も心もボ
ロボロに擦り切れて社会的落伍者となる危険である(このことは,人類の長い歴史の
中ですでに実証ずみである).だが,翻って考えてみると,この世は研究とは限らず
あらゆる種類の危険に満ち満ちている.安全で確実な人生など1つもないのである.
ましてや,安全だけにしがみついた人生など空疎そのものでしかない.であるとする
ならば,そして,いったん研究者としての道を踏み出してしまったのであるとするな
らば,いかなることがあっても『島を発見する人』たらんとする研究者魂だけは決し
て捨てまい.それでベストを尽くしたあとは思い煩うことは何もない,ただ天命に任
せればよいではないか.このような信条こそが『極道』すなわち『道を極める』こと
に人生を掛けた者達の心意気というものであろう(極道から心意気をとったら何も残
らない!).いたずらに右顧左ベンせず,腹を据え捨て身で掛って行くうちには,極
道にもそれなりの人格が備わって来るに違いないのである.美しいものに対する感受
性とかけがえのない個性だけが頼りの極道達に幸いあれと祈らざるを得ない由縁であ
る.

上記は電気通信大学通報第◯号「研究者の一筆」の転載です。

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